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2008年03月31日

ウミガメの爪



ウミガメの雄には前足の中ほどに



があります。

交尾の時にこの爪でメスガメの甲羅をがっちりと固定します。

  

Posted by 沖永良部ウミガメネットワーク at 20:17Comments(0)TrackBack(0)ウミガメ関連

2008年03月31日

著者紹介



あとがきより抜粋(先田光演)

沖永良部島に生まれた人には、沖永良部島の歴史が必要です。

歴史とは、現在の私たち1人1人につながる数万人の祖先が歩んできた過去の道をたどることである。

過去を知って、未来への力を育むことが郷土の歴史を知る面白さです。

1人でも多くの若者がこの小冊子で郷土の歴史に興味を持ってくれるなら、この本の目的は達成されたことになる。



先田先生は現在歴民館の館長の職にあり、郷土研究会の活動を活発にこなしています。

この本は1990年中学生のために作成されたものです。

ブログやミクシィでのUP快く承諾して、協力してもらいました。

1990年以後は後ほどUPします。
  
タグ :著者

Posted by 沖永良部ウミガメネットワーク at 06:18Comments(4)TrackBack(0)沖永良部島の歴史

2008年03月30日

1960~90年代まで



1962年 簡易水道給水開始。

和泊町全体に敷設されたのは1970年。

1963年 全島に電灯が引かれ、昼間の送電が始まる。

      知名町に東洋一の鍾乳洞が発見される。

1965年 NHKテレビ塔が完成。

      24時間送電が実施。

1971年 農村地域集団電話開通。

1972年 NHKカラー放送始まる。

1973年 大山米軍基地が自衛隊に移管。

1974年 奄美群島国定公園に指定される。

      葉タバコの栽培が始まる。

1977年 沖永良部台風直撃。

1982年 ウリミバエ防除始まる。

1989年 ウリミバエ完全駆除に成功し、農作物の移出が自由にできるように      なった  
タグ :1960~

Posted by 沖永良部ウミガメネットワーク at 13:01Comments(0)TrackBack(0)沖永良部島の歴史

2008年03月30日

復帰後の沖永良部



復帰後の沖永良部島

1954年 奄美群島復興特別措置法が制定され、名称を変え現在まで継続。

港の整備

1954年 阪神航路に照国丸、鹿児島港路に高千穂丸が就航。

1963年 あけぼの丸(610トン)が始めて和泊港に接岸

1970年 あまみ丸(1500トン)が接岸できた。

1985年 伊延港が整備されはしけの時代が終わりを告げる。

1969年 沖永良部空港が開港



学校がコンクリートに立て替えられる。

1957年 和泊中学校が創立。(第一と第三が合併)

      第二中学校は城ヶ丘中学校に改称。

1958年 知名中学校が創立(知名と下平川が合併)

1955年 屋子母に帝国物産株式会社の製糖工場が建設される。現在のフロー       ラルパークの場所。

1956年 和泊町に奄美興発株式会社が大型製糖工場を建設。

1962年 両者が合併してなん南栄糖業株式会社となる。

1956年 沖永良部バスが運行開始。

1957年 帝国物産のパイナップル工場が完成。

1959年 和泊小学校が現在地に移転。


  
タグ :本土復帰後

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2008年03月29日

日本復帰運動



日本復帰運動

1951年 日本本土ではGHQの占領支配が終ったが、

      北緯29度以南の南西諸島はアメリカの信託統治におかれることに      なった。

1951年2月 奄美大島日本復帰協議会が結成された。

        島民は奄美としての自覚に目覚め、99,8%の署名を集め、

        日本政府やアメリカ政府へ訴えた。

1957年 北緯27度半以北の奄美諸島は変換し、沖永良部島、与論は分離案
      が伝わる。

沖永良部島高校の生徒会は沖永良部、与論2島分離絶対反対を訴えるデモ隊を組織し、全島に訴える。

1958年 12月25日 奄美群島日本復帰。

1972年 沖縄県が日本に復帰
  

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2008年03月28日

沖永良部島の歴史



終戦後の様子

1945年 太平洋戦争終結

1946年 GHQにより奄美諸島は鹿児島県から分離し、米軍政の元に単独行政区       に切り替える通告

      本土~奄美間の一般旅行は禁止される。

奄美諸島は臨時北部南西諸島として沖縄県より区別される。

1950年 奄美群島政府として単独の政府が組織された。

1952年 琉球政府が発足し奄美群島政府は琉球政府に合併される。


1948年 新制中学校がスタート

      知名町立知名中学校、田皆中学校、下平川中学校

      和泊町立第一中学校(和泊)第2中学校(内城)第3中学校(国                                   頭)

1950年 米軍が大山にレーダー基地を建設、兵士が駐留。

 1973年自衛隊に移されるまで23年間続いた。
  

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2008年03月28日

空襲



空襲

1944年 沖永良部島に兵士が派遣され駐留。

      日本本土への空襲が始まる。

 越山に沖永良部島守備隊として600名の兵士が配置、

  そのうち150名は沖永良部島からの現地召集兵。

 越山には米軍上陸に備え戦車豪や掘、陣地などを作った。

  多数の島民が勤労奉仕隊として協力。

1943年 アメリカの潜水艦が小米を砲撃。

1945年 3月26日 空襲

        27日 田皆国民学校が全焼

      4月4日  沖から戦艦が大山基地を艦砲射撃

        5日  砲撃により和泊国民学校が火災。

            小米、上平川、和泊、国頭に被害が出た。

        15日 知名役場が砲撃により火災

        19日 知名国民学校、大城国民学校空襲を受ける。

        20日 屋子母が空襲を受け54戸が焼失。

      7月5日  知名青年学校全焼。

        21日 B29襲来

      8月15日 終戦

沖永良部島への米軍上陸はなし。

沖永良部島での死者は42名。

家屋全焼が約1450戸

(瀬利覚200戸、知名20、黒貫30、田皆250、大津勘5、上平川70、

  和泊205、国頭4、長嶺8、)
  

Posted by 沖永良部ウミガメネットワーク at 02:44Comments(1)TrackBack(0)沖永良部島の歴史

2008年03月27日

太平洋



太平洋戦争

1941年 12月 太平洋戦争始まる。

1945年 4月 沖縄本島に米軍が上陸。

1945年 終戦

沖永良部島の戦死者 和泊町663名、知名町487名

       1150名の兵士が約250箇所の地で戦死

  
タグ :太平洋

Posted by 沖永良部ウミガメネットワーク at 17:54Comments(0)TrackBack(0)沖永良部島の歴史

2008年03月27日

昭和初期の様子



昭和初期の様子

1926年 沖永良部警察署が置かれる。

1929年 沖永良部島電気会社が、和泊村古里に発電所を建設し送電を始める。

    電灯数800灯

    沖永良部百合同業組合が設立。

1930年 平壌丸(1020トン)が大島航路に就航。

1932年 世界恐慌の影響を受け黒砂糖の価格が暴落。

    和泊村公設消防団が発足。

1935年 沖永良部発電所が現在地に移設転。電灯数1700に。

    知名村公設消防団が発足。

1938年 島内で電話が使われるようになった。

1939年 米穀配給統制が始まる。

1941年 町制がしかれ和泊町になる。

  
タグ :歴史

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2008年03月26日

大正時代



大正時代の様子

1908年 村会議員選挙が行われる。

1914年 第一次世界大戦が始まる。

    ユリが高値で売れ好景気になり、沖縄から芝居やサーカスが来る。

1919年 和泊に南州橋をかける。

    余多に天竜橋をかける。

1925年 米の2期作が広まる。

  
タグ :大正時代

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2008年03月26日

明治時代



明治時代の様子

1879年 地租改正が始まる。

1883年 社倉資金で公立病院を建てた。

1886年 大暴風雨があり農作物が枯れソテツを食料とした。

1887年 沖永良部島を2区に分けた。和泊村17箇所、知名村17箇所。

1890年 日本初の衆議院議員選挙が行われ、沖永良部島から5人が投票。

    ウジジ浜にカナダ船が難破。

1891年 月1回の定期船が就航(大阪商船の朝日丸)

1894年 小学校を9校に統合。

1898年 長崎県の口之津へ1640人が出稼ぎに行く。石炭の由美だし人夫として。

1901年 大島郡に砂糖同業組合が発足。

1904年 日露戦争に沖永良部島からも出征。

1908年 知名~和泊に電話が開通。
  
タグ :明治時代

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2008年03月26日

大正時代



大正時代の様子

1908年 村会議員選挙が行われる。

1914年 第一次世界大戦が始まる。

    ユリが高値で売れ好景気になり、沖縄から芝居やサーカスが来る。

1919年 和泊に南州橋をかける。

    余多に天竜橋をかける。

1925年 米の2期作が広まる。



  
タグ :大正時代

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2008年03月25日

沖永良部島の明治時代



明治時代の様子

1879年 地租改正が始まる。

1883年 社倉資金で公立病院を建てた。

1886年 大暴風雨があり農作物が枯れソテツを食料とした。

1887年 沖永良部島を2区に分けた。和泊村17箇所、知名村17箇所。

1890年 日本初の衆議院議員選挙が行われ、沖永良部島から5人が投票。

    ウジジ浜にカナダ船が難破。

1891年 月1回の定期船が就航(大阪商船の朝日丸)

1894年 小学校を9校に統合。

1898年 長崎県の口之津へ1640人が出稼ぎに行く。石炭の由美だし人夫として。

1901年 大島郡に砂糖同業組合が発足。

1904年 日露戦争に沖永良部島からも出征。

1908年 知名~和泊に電話が開通。

  

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2008年03月25日

イルカンダ



南海日々新聞1面にイルカンダ掲載されていました。

沖永良部島に今のところ2株は確認しています。

1株はすでに咲いていますが、もう1株は後1週間ほどで咲き始めます。  
タグ :イルカンダ

Posted by 沖永良部ウミガメネットワーク at 05:57Comments(3)TrackBack(0)春の花

2008年03月24日

西郷隆盛



西郷隆盛

1859年 奄美大島の龍郷に身をひそめる。

1862年 鹿児島に呼び戻されるが、島津久光のいかりにふれ徳之島に遠島。

1862年 さらに沖永良部島に遠島。伊延港に上陸。

  西原に遠島されていた川口雪逢から書を学ぶ。

  役人の土持政照の労により座敷牢に移動し、周囲の子供たちに学問を教え   る。

  社倉制度を教える。(飢饉のときの食料対策として)

  敬天愛人の思想を確立する。

1864年 鹿児島へ帰り明治維新を実現する。
  
タグ :西郷隆盛

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2008年03月24日

島津氏の琉球支配



島津氏の琉球支配

島津氏は奄美諸島を琉球王国から分割して直接支配するようになった。

これが現在の鹿児島県大島郡の起源である。

島内は3つに分けられていました。

徳時間切 (沖永良部島の西半分)

批留間切 (東部の東側)

大城間切 (東部の南側)
  

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2008年03月23日

琉球王国の支配



琉球王国時代の沖永良部島

1416年~1609年までの約200年間琉球王国の支配が続きました。

琉球王国との交流が盛んになり、島の南西海岸の港が利用された。

屋子母には浜倉という倉庫が作られ、明治時代まで交流が続いたそうです。

他の浜は与和の浜、小米、徳時などが利用されたそうです。

  
タグ :琉球王国

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2008年03月23日

世の主



世の主伝説

世の主伝説には数種類の記録や伝承が残されています。

A,上城の娘と琉球王の子

B,上城の沖ヌルと琉球王の子

C,北山王の二男 真松千代

D,ニシミのウキヌルと北山王の子



北山王国は14世紀はじめから、1416年に中山王に滅ぼされるまでの約100年間

沖縄本島の北部を支配していた国です。

1416年北山王国が滅ぼされた時に、沖永良部島の世の主は切腹したと伝えられています。
  

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2008年03月23日

時ジョギング大会



ジョギング大会の抽選外れました。  

Posted by 沖永良部ウミガメネットワーク at 12:15Comments(0)TrackBack(0)イベント

2008年03月23日

グスク時代



9~13世紀の沖永良部島

894年 遣唐使廃止され本土との交流が途絶える。

沖縄ではこの時代をグスク時代とよんでいます。

豪族がアジと呼ばれ各地にグスクといわれる館や石積みの小さな砦をきづき、

互いに勢力を争っていた時代です。

世の主によって統一されるまで数百年間互いに争っていた時代だと考えられるそうです。
  
タグ :グスク時代

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2008年03月22日

遣唐使と南の島々



本土との交流

遣唐使の航路として南の島々が利用されました。

629年   朝廷が南島の島に調査団を派遣。

682年  阿麻弥(あまみ)、種子島、屋久島から朝廷に貢物を献上。

699年、714年、715年、南島のやく人、あまみ人、とく人、くみ人が大和へ。

707年、715年、720年、727年、朝廷が南島の人々に位を与える。

735年、753年、754年には遣唐使の航路として記録に残される。

753年 鑑真が沖縄~屋久島~鹿児島上陸

この当時奄美や沖永良部島からアカギの木材を大宰府に謙譲した記録が残っています。
  

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2008年03月22日

7世紀の沖永良部島



7~8世紀の沖永良部島(マキョ時代)

奄美から沖縄にかけては、古代の集落をフダ、あるいはマキョと呼んでいたそうです。
マキョは血縁を中心に形成され、湧き水の近くや川の周辺にできただろうと推測されるそうです。

貝の道を往来して本土の大和地方と交流していた時代だそうです。
  

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2008年03月21日

沖永良部島の歴史



スセン当貝塚

知名町屋子母、スセン当にあり、昭和57年に発掘。

新しい形の土器が出土しスセン当式と命名されたそうです。

5世紀のものと定められたそうです  

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2008年03月21日

住吉貝塚



住吉貝塚

知名町住吉の金久で発見され、昭和32年に発掘されたそうです。

弥生時代後期の竪穴式住居跡が発掘されたそうです。

石器では石斧、槌石、石皿などが出土したそうです。
  

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2008年03月21日

弥生時代



沖永良部島の弥生時代

日本本土では縄文~弥生~古墳と明確な発展が見られるが、沖永良部島ではあいまいだそうです。

平地に家を建て生活していたそうです。

水田を作って稲作を行い、焼畑をおこなっていたそうですが、食料の大半は狩りや漁にたよっていたようです。

5世紀ごろには水の得やすい場所を中心にむらが形成されていったそうです。
  
タグ :弥生時代

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2008年03月20日

1万年前の沖永良部島



中甫洞穴

知名町久志検で昭和57年に発見。57,58,59年と発掘調査。

10000年前の最古の縄文式土器が発見されたそうです。

この洞穴の発掘により、10000年前から沖永良部島と日本本土との間に交流があったことが明らかになったそうです。  

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2008年03月20日

貝塚



神野貝塚

大津勘の海岸、ビーチロック入り口近くにあります。

昭和55年に発見。57,58年に発掘調査。

今まで発見されていなかった土器が出土し神野式土器と命名される。

発掘されたもの

貝さじ、イモガイ製装飾品、鹿角製品、イノシシの骨、コウモリの骨、

ネズミの骨、鯨の骨、カラスやキジバトの骨、海がめの骨、ブリやタイの骨

タブの木の実、人骨など
  
タグ :貝塚

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2008年03月19日

縄文時代



沖永良部島の縄文時代

BC8000
爪型式土器が久志検の中甫(なかふ)遺跡より発掘され明らかになったそうです。

鍾乳洞に住みイノシシ、ネズミ、キジバト、ヒヨドリ、タブの木の実、ブリやタイなどを食料としていたそうです。

ゴホウラや夜光貝で腕輪を作り、イノシシの牙でペンダントなどを制作したようです。

BC5000
沖永良部島独自の土器が制作される。

BC3000
神野式土器が作られるようになる。

BC2000
沖縄を中心とする伊波式土器が制作される。

この時期より沖縄との交流が推測されるそうです。
  
タグ :縄文時代

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2008年03月19日

沖永良部島の歴史



沖永良部島の歴史(先田光演 著)より

BC8000~    縄文時代

BC300~AC700 擬弥生時代

AC700~1100 マキョ時代

AC1100~1450 グスク時代(アジ時代)

AC1450~1600  世の主時代 琉球王国時代

AC1600~    薩摩藩時代

AC1686~    鹿児島県政時代

AG1945~1953 米軍政時代

1954~     現在
  

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2008年03月19日

ビューポイント



半崎近くのウミガメのビューポイントの場所です。

去年は荒れた畑でしたが、土砂が山盛りになっています。

目印にしてください。道路からでも見れますよ。

畑地なら1aでいい条件の畑で10万円。悪い畑なら5万円ほどです。

荒地なら1a5万円ぐらいです。

この場所は2a。

農業委員の査定ではここは荒地としての査定で10~15万円ほどです。

役場が購入を検討しましたが、その後の整備などで300万円ほどかかる

試算になったために中止になりました。

今年度の反響しだいでの検討になります。
  
タグ :土地

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