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2008年04月04日

ユリの歴史

ユリの歴史

エラブユリ栽培の歴史

1897 奄美で野生ユリの取引が始まる。

1898 喜美留沖でイギリス船が難破、

     救助されたのはユリ商人アイザックバンテング

1901 アイザックがユリ球根を購入。

     喜美留でユリ栽培が盛んになる。アンゴ種を育成

1905 喜美留、和泊、玉城、和においてユリ栽培が盛んに行われるようにな     った。

1906 各商社との取引が始まる。

1914 輸出額が飛躍的に伸び、ユリの好景気でにぎわう。

1915 ユリ積み出しのため和泊の桟橋を改良工事。

1927 ユリの病害虫防除について県の指導が始まる。

     ウイルス病対策を徹底するようになる。

1929 沖永良部百合同業組合が設立。

1931 生産過剰になったため海中投棄し価格維持を図る。

1932 輸出商による日本百合根輸出組合が設立。

     百合騒動が起こる。

1933 鹿児島県百合検査条例が施行される。

1935 沖永良部百合根同業組合が廃止になる。

1937 輸出百合根組合が設立。百合輸出量4000万球をこえる。



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Posted by 沖永良部島ウミガメネットワーク at 17:34│Comments(0)
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