
2011年01月28日
沖永良部島ため池の歴史
沖永良部島「ため池」の歴史
沖永良部島は美しい島ですが、水に恵まれていません。
降水量はあるのですが、島が小さく隆起珊瑚礁の島、
川も少なく、降った雨はすぐ海に流れます。
そのため農耕をするためには水をどうするか。
古代より島人達は「ため池」づくりをします。
明治5年以前に掘った「ため池」は記録されているもので60あります。
そのうち50は現在の和泊町、知名町の方は大山から流れる余多川などがあり比較的水に恵まれていました、
江戸時代に入り代官所が設置され、その指導のもと「全島夫」制度を
つくり、島員が結集して大きなため池をつくりあげます。
「ため池」づくりの時期は六月日照の時期(旧暦)、
この時期はひと月以上も雨が降らない干ばつ期、
畑作が出来ないため「ため池」づくりには絶好の時期でした。
当時のえらぶの人口は1万人。
その内年寄り、子供、病人を除くと実働人員は5000から6000人。
その人たちが総出でつくりあげたといわれています。
千年前から、先祖達が親から子へ、子から孫へと、子孫代々まで
多くの「ため池」づくりを行い、今日の立派な農業の島が完成されて
います。島民はは島のためならどのような仕事もする、
島民の「和の共同体」が昔からあった証です。
因みに 沖永良部島の人口は
※天明6年(1786年)男4,286人 女4,859人 計9,145人
※弘化2年(1845年)男5,006人 女5,630人 計10,636人
※明治8年(1870年)男6,866人 女7,471人 計14,337人
※参考文献:「選で選ばらぬ沖永良部島」(平成5年)玉起寿芳著より引用
Posted by 沖永良部島ウミガメネットワーク at 00:24│Comments(0)
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